ある日の朝日新聞で紹介されていた「跳びはねる思考 会話ができない自閉症の僕が考えていること」(東田直樹著)と言う本。会話が出来ない自閉症の青年である東田さんがどうして本を書けるのか。自閉症の子と接する機会が身近にある僕にとって、率直な疑問でした。
本を読み進めて見て驚きました。
東田さんの場合は、会話が出来ずとも「文字盤ポインティング」と言う方法で会話が出来ると言うこと。なのでパソコンで文章にする事も可能であること。作家として活動し、講演だってできること。突如声を上げてしまったり、突如単語を繰り返し発してしまうと言った症状を自分自身で理解出来ていると言うこと。そんな自分に向けられる目、声、あらゆる事まで全て理解していると言うこと。
自閉症の方のみならず身体の不自由な方に対して「うわ~気持ち悪いんですけど、ウケる!」と笑い合う学生の姿をこれまで何度と無く目にした事があります。そんな言葉を向けられた本人がそれを全て理解していることもあり得ることを改めて知らされて、僕は胸を締め付けられるような凄く切ない気持ちになりました。何てむごい・・・
東田さんの文章を是非一度読んでみて下さい。
独特の感性で綴られた素敵な文章にハッとさせられ、そしてその綴られた文章によって何気ない日常が実は凄く有難いもので、ドラマチックなものの連続であることに気付かされると思います。そして何より、自閉症の症状を持つ人たちとより温かな気持ちで、でも何ら気を使う事なく普通に接して行くべきであることにも改めて気付かされます。
何週間か前、地元の駅で奇声にも近い歌声が聴こえて来た事がありました。
何だろう、何の歌だろう。
ダウン症と思しき女の子がヘッドフォンステレオから音漏れをさせながら、その曲に合わせて歌の練習をしていたのです。歌っていた曲はいきものがかりの「ありがとう」。その子に奇異の目が向けられているのが僕にも分かるほどでしたが、でも電車が来るまでのたった数分間だけでその子が一生懸命毎日繰り返し繰り返し歌の練習をしているんだと言う事が容易に想像出来ました。いきものがかりのボーカル、聖恵ちゃんの歌には勿論敵いませんが、「ありがとう」の気持ちが確かに駅のホームに溢れていました。
「歌、上手だね」
心の中では声を掛けられましたが、実際にその子に声を掛ける勇気がまだ僕にはありません。実際に声を掛けずとも、そんな気持ちが大事で大切で、そんな気持ちを持つ事が当たり前である事にも改めて気付かされました。
人間って、脳って、奥深くて不思議でなんて魅力的なんだろう。
個性も感性も生き方も一人一人異なります。
本を読んで受けた刺激によって、またちょうど同じタイミングである人から教わった言霊のこと、思考の仕方、それらとも合わせて間違いなく僕の日常がよりキラキラと輝き始めています。